昨日は和光大学で行われたシンポジウム「出版の未来、音楽の未来」というのを聞きにいきました。誘ったのは3人。来てくれた友人は2人。嬉しい。でも来てくれた友人は2人とも楽しめなかった模様。残念。実際、列席者は(恐ろしいことに司会者すら含めて)全員トークが下手で、言いたいことも整理することができず、そもそも声からして不明瞭という状態。話される内容も、「未来」をうたっていながら半分くらいは彼らの過去についての話で、残りの半分は現在について、そして肝心の未来についてはインターネットにまつわる話から離れられないという状態。
まあ、トークが下手なのは(教員であるらしい司会を除けば)三人ともトークが仕事ではないことからして責めるべきではないし、過去のことを語らなければならないのは、80年代生まれが中心の学生たちを前にして世代的な溝を乗り越えるためには致し方ないことだったのかも知れない。
それよりも問題は、彼らが「未来」のことを語るにあたってインターネットからぜんぜん話題を引き離せなかったことであり、会場からの質疑応答の際にも誰もそれを指摘できなかったことだろう(そもそも、質疑応答までの時間をだらだらと引き延ばされて場内のオウディエンスは質問をしようにも考えをまとめることが全然できなかったと思う。僕もそうだった。司会がとにかくよくなかったと思うけど、でもあのゲストの面子を集めたというだけでも司会の人は偉かったと思う。もっと人間やトークを編集するのが得意な人がちゃんと司会として登場するべきだったんだろう)
それはともあれ、シンポジウムのあとで列席者のひとりだった仲俣氏が挙げていたパンドラドットコムというのがとても面白い。ためしに「emperor」を検索してみたところいろいろと教えてくれる。普通に欲しいもの(「grimfist」というバンドがかっこいい!)があがってくるので、そのうち購入に反映させたいと思う。
ここクリックするとパンドラの僕が作った局に飛びます。かかる曲は向こうが選んだエンペラーに似てる曲。なかでも僕の趣味に近いんじゃないかと向こうが提案してきたやつ。いまのところハズレ率65%くらい。
今日は親戚の集まりに顔を出すことになり、行きたかった本郷の
スティグレールの講演会に参加できなかった。スティグレールというひとは本もぜんぜん読んでいないのでこれからちゃんとチェックしたいと思う。調べていたらこんなの見つけた。
スティグレールによる現代の技術と文化とに関わる政治的問題。ちょっと哲学的に書かれすぎているけれども、読み砕く必要がありそう。がんばろう。
ところで昨日のシンポジウムの話だけれど、前提として「インターネットの話をしなければならない」という暗黙の了解があり、そのうえで結論としては「コンテンツマネージメントシステムの設計に際して編集者は何ができるか」ということが問題になっていた。仲俣さんはそこで「ノイズの混入」を問題にしていた。仲俣さんの話で興味深かったのは、「未来は『欲望』『技術』『経済』という独立した変数によって予測される」というまとめ。これについては「独立した変数」という呼び方に異論があるけれど、言いたいところはわかる。
今回のシンポジウムで僕が言いたいのは、高橋さんが「自分が音楽の革命で最新のものだとおもっているのはヒップホップだ」と言い、インターネットのことだけが問題になっていたことだった。仲俣さんの挙げた未来を予測する三つのうち、『技術』のことだけが問題にされていたからシンポジウムで語られた「未来」はとても物足りないものになった。
『欲望』と『経済』が語られていなかったというよりも、それを考慮にいれてたとえばインターネットのことなどを考えれば、もっと刺激的なシンポジウムになったのだろうと思う。江坂さんが「epic2014」のような今後の展開を考慮しなければ編集者の食い扶持は危ういとわざわざ話したので、多少話は刺激的になったけれど、編集者の食い扶持はユーザーの『欲望』を『経済』的に変換して初めて得られるということがかなりいい加減にスルーされていた気がする。ここんところを会場に居ながらにして気付ければ現場で質問したり、あるいは懇親会に顔を出して列席者とかに質問できたのに。
しょうがないから自分で考えてみたいと思う。
まず、ユーザーの欲望はなんなのか。その前に、誰をユーザーとして規定しえるかを考える必要があるかな。僕は日本人だけを考えるつもりはない。段階的に、日本人、アジア圏、世界を視野に入れてもいいと思う。次に、例えば日本人の中にも、あるいはアジア圏の人々、世界中の人々のなかにも、男女、年齢、所得、あるいは趣味集団のような偏差があると思う。いろんな偏差を考慮するべきだろう。住んでる地域や使っている言葉、上記のような偏差から欲望というのはバリエーションを持つことになると思う。
だけど、経済的な効果をもたらす欲望というのは、生きるための欲望に他ならない。と言っても、肉体を生かすための医療や食欲や、種の保存という目的だけが問題になるんじゃない。時には死に向かって生きる欲望だって在り得る。自殺というのは例えばひとつの生のあり方だと言えるだろう。積極的に肯定できるかどうかは別として。
文化が関われるのはこの「如何にして生きるか」というところだろう。だから僕がここで想像できるユーザーの欲望というのは、「インターネット」という技術を利用して(昨日のシンポジウムに話をつなげたいし、自分のいまの仕事に関わるから)いて、かつそこから「如何にして生きるか」という点で影響を受ける可能性のあるユーザーの欲望ということになる。
ちなみにやはり昨日のシンポジウムで語られなかったこととして、ケータイの存在がある。インターネットに関わる話題なのに、どうしてケータイに触れられなかったのかというとたぶん世代的にパソコンには親しんでもケータイには違和感があるみたいな人たちがゲストだったからというのがあるんじゃないだろうか。ちなみに僕もケータイは仕事で関わらなければずっと関係ないままだったように思う。
でも、ケータイのユーザーは今後どんどん増えていくし、若い頃から集団で使うことによって社会意識や身体感覚にも絶対的な影響を与えていくと思う。はっきり言って「ゲーム脳」なんかよりももっと重大なメディアだと思う。安価だし、それに普及率が半端じゃない。インターフェースが単純だからパソコンのインターネットよりも重要性が薄いと思われているのかもしれないけれど、こと普及率を考えればパソコンよりも当然ケータイの方が高い。ケータイでインターネットを使う人があんまり多いように思われないのは、ブラウザとかキャリアとか(ここらへんはまだよくわかっていない)がまだ統一されていないせいで、今後仮に(ケータイはハードのメーカーが割りと力が強そうだから、まだしばらく統一に時間がかかるかもしれないので)統一されれば、爆発的にケータイでインターネットを使う人が増える可能性だって少なくない。現にいまこの爆発はゆっくり進行中だと思う。本格的な爆発が近いうちに訪れる気がする。
ということで、いま10代で日本の(特に都市部、東京に限らない都市部ね)男女の欲望を考える必要があるだろうと思う。10代の男女の懸念事項といえば、家族や友人との確執、そして将来への不安だろう。それを解決する手助けをケータイが与えるとしたら、これは経済効果を十分生み出すと思う。ちなみにアイポッドがアメリカで成功したのは、ウォークマンの次世代としてアイポッドが機能しただけではなく、やはりコミュニケーションツールとして(ディスコミュニケーションツールとしても)適当だったからだろう。
ただ、アイポッドではコミュニケーションやディスコミュニケーションをすることで家族や友人との確執をどうにかすることができても将来への不安はどうしようもない(忘れることはできるかも知れないけど)。ちなみに僕がここで提案したいのは、企業や投資家と若年ユーザーとの橋渡しをケータイのインターネットがやったらいいんじゃねえのということ。
いま考えているのは、音楽や映像や画像の編集機能を持ったサイトへケータイでアクセスすることを可能にして、そこでの作業でもって企業や投資家が若年ユーザーを指導したりピックアップするのってどうよということ。もちろんそれだけだと敷居は相変わらず高そうだし、そもそも若者って人生経験がなくって味わいのある作品を作れっこないじゃんということになるので、じゃあ人生経験を多少はケータイを通して積んでもらおうということでSNS機能とかつけて、あと性やコミュニケーションへの欲望の強い10代に向けてるわけだし、出会い系みたいな機能とか付けたらいいんじゃないですかみたいな。
そうすることで、ミクシーみたいに自分のページのスペースがあって、そこでサイトの機能を使って作った作品を公開して、それについて品評することで交流が始まりーみたいな展開が期待できるんじゃないかと思うんですよ。交流は横のつながりである若者同志でもいいし、企業や投資家からのピックアップやアドバイスであってもいいし。どうだろうか。
love ends suicideというバンドがわりとかっこいい。というかバンド名が、、、。
備忘:シンポジウムで触れられていなかったのは著作権(これは高橋さんが明言していたけれど、意図的に避けていた。問題として大きすぎるらしい)などの法的・公的な問題。あと、やはり法的・公的性格を持つけれども、教育の問題がまるで触れられていなかった。円盤大学の話題が出ていたのに。欲望を作り出すのは、技術や経済だけでなく教育でもあるだろうに。
ちなみにうえに挙げた僕のアイデア、ケータイで提供される必然性が極めて弱い。補強したい。